エモ鉄ヤーコンです😊こんにちは!
エモ鉄とは、鉄道に乗ってエモい体験をするマニアことです。
我が息子鉄ヤンヤンもいよいよ受験生。
電車に乗って出かけている余裕もないのですが、そうは言っても鉄分も補給しないとモチベーションも上がりません。
そこで、受験勉強にもつながるような訪問先を厳選して、課外学習を楽しむのもひとつの受験生のあり方かと思います。
そこで、歴史の授業でならった有名な生麦事件の発生現場を訪問することにしました。
<目次>
1.生麦事件ってなんだっけ?
生麦事件は、ペリーの来訪を期に開国した江戸時代の末期に発生した事件です。
日本が開国し、日米和親条約が結ばれたのが1854年、1858年には日米修好通商条約が結ばれ、それ以降、外国人が日本に訪れるようになりました。
1862年のこと、薩摩藩の藩主の父島津久光が江戸での公務を終え、行列を伴って旧東海道を横浜方面に向かっていました。
そこへ、川崎大師に見物に行っていたイギリス人一行が通りかかり、大名行列と鉢合わせになってしまいました。
大名行列なので、脇によけて頭を下げなくてはなりません。
しかし、イギリス人はその文化も知らず、言葉も通じないうえ、行列が道幅いっぱいに広がっていたので、彼らは脇によけることができませんでした。
そんな中、行列の中にもみくちゃになってしまい、引き返すこともままならず、久光の籠のそばまで来てしまったため、激怒した藩士に殺傷されてしまったという事件です。
これにイギリス政府は激怒し、外交問題に発展します。
幕府はすぐに賠償金を支払いましたが、薩摩藩側は尊王攘夷思想が強かったため、これを拒否し、イギリスは艦隊を派遣し、薩英戦争に発展します。
しかし、ここで完膚なきまでに叩きのめされた薩摩藩は、攘夷ができないことを知り、その後、同じく外国艦隊に敗北した長州藩とともに、倒幕に向けて大きく歴史が動くことになります。
このような倒幕の起点とも言える事件あり、異文化や多様性と触れたときの戒めとして多くの学びがあるこの事件が、最近の教科書では割と省略されがちなようで、残念でなりません。
なお、もっとわかりやすくベネッセさんが解説してくれているので、読んでみてください。
2.鶴見線鶴見駅
京急本線に生麦駅からも行けますが、国道駅からですと、旧東海道の歩いて訪問することになるため、当時の大名行列や、イギリス人が脇によられなかった道幅など、当時の様子に思いを馳せることができます。
鶴見線は沿線に多くの工場が立ち並ぶ通勤路線で、それ以外の日中は本数が少なくなり、特に支線の海芝浦駅や大川駅は秘境駅としても有名です。
鶴見線への乗り換えは、かつては中間改札機がありましたが、2022年2月を以て撤去されました。
春光輝く鶴見線のホームは相対式2面2線で、日中は画面左側の3番線が使用されます。
特徴的なのはラッシュ時を中心に使用される4番線。
木でつくられたベンチがレトロな雰囲気を醸し出しています。
また、壁に設置されている大きな時計は、鶴見地区に住んでいた在日朝鮮人の皆さんが帰還事業に伴って、北朝鮮に帰国する際に寄贈してくれたものです。
帰還事業とは、1950年代から1984年にかけて行われた、在日朝鮮人を北朝鮮に帰還させる事業のことです。
在日朝鮮人の皆さんも、国内では偏見などもあり、苦しい生活を起こっていましたが、「地上の楽園」という宣伝文句で北朝鮮に送還された後の更なる苦しい生活は想像に難くありません。
このあたりも、教科書ではほとんど触れられませんね。
3.鶴見線国道駅
鶴見線に乗車し、左に大きくカーブして東海道線などをオーバークロスすると国道駅に到着します。
国道駅も昭和レトロな雰囲気が当時のまま残されているエモさで有名な駅です。
薄暗い高架下には、昭和の店舗や看板がそのまま残されていますし、柱や壁には、太平洋戦争の空襲で受けた機銃掃射の弾痕も残されており、改めて戦争の悲惨さを体感することができます。
4.生麦事件発生現場
国道駅は、国道1号線に隣接していることに由来しますが、同時に旧東海道とも隣接しています。
参勤交代などでも頻繁に往来があっただけあって、現在の交通量に対してかなり道幅が広いです。
これを塞ぐほど島津藩の行列は横に広がっていたということで、大名行列の規模の大きさが感じられます。
生麦事件の発生現場は、旧東海道を南に歩いて10分弱の右手にあります。
ちーん。
オペンホウセめ・・・。
ここには、発生現場の看板があったそうなのですが、オペンホウセが撤去してしまったようです。
将来ここに住む人は、生麦事件現場だということを知らされるのでしょうか?
なお、あとで調べると、ここからさらに旧東海道を進み、国道1号と合流するあたりに、生麦事件碑や生麦事件参考館があるそうです。
生麦事件で殺傷されたイギリス人のひとり、リチャードソン氏は、藩士に切り付けられたのち、深手を負いながら、逃亡。
そして、この事件碑が立っている場所が、とどめを刺された場所なんだそうです。
事件碑のことを調べるに訪問したので、事件碑までは辿りかなかったのですが、このような歴史から、親子でいろいろなことを感じることができました。
子鉄ならではの学びができてよかったです。