ボクの息子はもう子鉄じゃないかもしれない。

子鉄ヤンヤン(小6)の父であり、実写版アラレちゃんの娘ミーミー(年長)の父が、鉄道や子育てを楽しみながら、地方鉄道を救済していく物語です。子供の「だいすき!」「やってみたい!」を大切に子育てをしています♪(旧ブログ名:適応障害でも鉄道に乗りたい!!)

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五島慶太未来創造館-子供たちに伝えたい熱く生きる先人の軌跡-長野県青木村

小学校6年生になると、社会科の授業で歴史を習います。

当時、進研ゼミのマンガの中で、社会科の先生(しょっぺ先生)が、
歴史の勉強は、昔の人から学んだことをいまの生活に活かすことが大事
と言っていたのを覚えています。
(たしか、他の先生から『歴史は暗記ばっかり』とディスられた時の反論)

これは、本当に歴史や先人から学ぶ本質だと思っていて、特に偉人の生きざまを学ぶにつれて、浮雲のようだった人生が、強靭な幹や根を持つ大木のようになっていきます。

五島慶太未来創造館では、東急グループ創始者五島慶太の生きざまを小学生でもわかるようにコミカルに描いていて、子供たちにまっすぐに生きることを教えてくれ、僕たち大人も生きること、働くことなどのマインドセットを改めて整えてくれます。

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<目次>

 

1,五島慶太とは何者だったのか?

五島慶太は、東急グループの創設者にあたる人物です。

はじめは、鉄道院(現国土交通省)で鉄道会社を監督する役人として働いて専門性を磨き、その後武蔵電気鉄道(現東横線)の経営に携わることになりました。

さらに、渋沢栄一によって進められた田園調布や洗足のまちづくりを行う田園都市株式会社の鉄道部門も任され、目黒蒲田電鉄を設立。

目黒蒲田電鉄は、現在の東急電鉄の前身となり、沿線に緑豊かな住宅街に加え、学校の誘致、遊園地や温泉、百貨店など、豊かな生活を送ることができる施設を充実させました。

現在は私鉄モデルとして当たり前に行われていることですが、かつては鉄道は人が住んでいて需要があるところに通すことが多く、鉄道とまちづくりを一体的に行うことは斬新なことでした。

この手法は、阪急宝塚線で先駆的に実践していた小林一三から学んだものです。

開業時に敷設された目蒲線は、2000年に目黒線東急多摩川線に分離され、近代化が進められた。

さらに、小田急電鉄京急電鉄など多くの私鉄を買収して傘下に収め、大東急と呼ばれる一大鉄道ネットワークを築きました。

これは、鉄道会社がバラバラに運営することによって乗り換え不便などが起こっていたことに対する慶太が考えた解決策の1つです。

この考えは、現在は相互直通運転などによるシームレスな移動という考え方につながっています。

また、かつて農村だった多摩丘陵地帯を開発し、田園都市線と一体となったまちづくりを行い、約5,000haにおよび東急多摩田園都市の開発を進めました。

これらの手法は、当時としては斬新すぎ、かつ強引であったことから『強盗慶太』の異名を取ります。

しかし、その裏には、「こうすれば世の中はもっとよくなる」「鉄道はこうでなくては乗客のためにならない」という社会課題に対する強い思いと、徹底した顧客視点がありました。

東京メトロ副都心線経由で、元町中華街駅から西武秩父駅まで結ぶS-Train

また、書や茶の道や、美術品を嗜むなど、文化人としても熱心に活動しており、文化が豊かさをもたらす思想を開発の随所に織り込んでいます。

五島慶太の美術コレクションは源氏物語絵巻など現在国宝に指定されているものもあり、現在は五島家の敷地の一部を譲り受けた五島美術館で、保存展示されています。

五島美術館は、敷地内になんと、古墳もありますので、こちらの記事も読んで一度行ってみてください。

smallanthussonchifolius.hatenablog.com

 

2,五島慶太未来創造館はこんなところ。

五島慶太未来創造館は、五島慶太が生まれ育った長野県青木村にあります。

ここでは、五島慶太が生涯どのように生きていたのか、子どもでもわかりやすく解説しています。

東急と言えば渋谷ですが、渋谷駅の周辺のジオラマNゲージも展示されていて、運転させてもらうこともできます。

当時の渋谷駅のジオラマをのぞき込む息子鉄ヤンヤン
東横線の地上駅や東急文化会館などが見られる。

五島慶太は、実業家として優秀であっただけでなく、美術、茶道、書道などに親しんでおり、その作品も展示されているほか、ファッションセンスがうかがえるお気に入りの帽子なども見ることができます。

また、社員向けのあいさつや、テレビに出演した時の肉声も残されていて、映像を交えながら生の声を聴くこともできます。

その言葉1つ1つには、東急の事業や、日本は将来こうならなくてはならないといったような想いが込められているように感じます。

子どもには少し難しいかもしれませんが、働く大人たちにはグッとくるものがあります。

五島慶太お気に入りのシルクハット。なお、館内は指定場所以外は撮影自由。

館内の係員の方もとてもやさしい方で、五島慶太のことだけでなく、周辺の観光地のことなども教えてくれました。

地元の子供連れの方も遊びに来ており、青木村の皆さんがいかに五島慶太郷土の誇りとしているかが強く感じれました。

青木村には、残念ながら現在は鉄道は通っていません。(かつては、上田温泉電軌青木線が通っていた。)

北陸新幹線上田駅から、千曲バス青木線青木バスターミナル行きに乗車し、終点から徒歩5分ほどです。

僕が訪問したときは、上田駅前のとれん太くんを借りました。

新幹線をえきねっとで購入すれば、とれん太くんも割引になるのでお得ですし、次に解説する五島慶太記念公園や、田沢温泉、沓掛温泉などに立ち寄ることができるので便利です。

ただし、なぜか上田市内、青木村内はやたらと道路が凸凹していたので、要注意です。

館内の感想を付箋に書いてボードに貼り、みんなと感想をシェアできる。

3,息子五島昇から送られた公園

青木村には、五島慶太未来記念館のほかに五島慶太の生家五島慶太翁記念公園があります。

しかし、五島慶太の生家は、2018年に落雷により焼失してしまいました。

しかも、それはなんと!慶太の命日8月14日のことでした。

なんとも不可思議な出来事ですが、五島慶太未来創造館では、復元模型とVRで体感できます。

一方、未来創造館から上田方面に少し戻ったところに、五島慶太翁記念公園があります。

遊具もないまったりとした公園ですが、これは慶太の息子で東急グループの会長を務めた昇が父のために贈ったものです。

公園内には、頌徳碑や四季折々の花を楽しめる樹木がきれいに整備されていました。

息子に公園を送られるなんて、父親冥利に尽きますね。

慶太は、若くして奥さん(万千代)を亡くしていますが、とても家族思いで、4人の子育てにも力を尽くしたと伝えられています。

なお、奥さんの死因は、現在の新型コロナウィルスのごとく世界中に蔓延したスペイン風邪(インフルエンザ)でした。

コロナ禍で子育てをする立場としては、他人事とは思えませんね。

いまでも美しく整備されている五島慶太翁記念公園。地元の皆さんの愛を感じる。

4,五島慶太からのメッセージ

「なあに」の精神。

これは、慶太が東京高等師範学校(現筑波大学)時代の校長嘉納治五郎の言葉で、「どんな困難にぶつかっても『なあに、このくらいのこと』というように終始考えろ」というもので、慶太が生涯心に刻んでいたことです。

慶太は、奥さんの死だけでなく、当初は会社の資金繰りにかなり苦労をしましたし、強盗慶太と呼ばれるなど世間の風当たりも強かったそう。

また、戦時中運輸大臣を務めていたため、GHQによって公職追放となるなど、決して順風満帆ではありませんでした。

元来勉強家で努力家という性分もありましたが、恩師の言葉に勇気づけられながら乗り越えてきたのではないでしょうか。

ちなみに、ザ・パワーこと娘のミーミーはTシャツの背中に『死ぬこと以外かすり傷』と書いてあります。

なにか通ずるものがありますね(笑)

子供でもわかりやすい五島慶太のひみつは無料で配布。少しでも生きる糧になるものがあれば。

5,五島慶太未来創造館について

住所  :長野県小県郡青木村大字田沢3270-3

電話  :0268-49-0303

休館日 :毎週月曜日・祝日の翌日・年末年始

開館時間:9時~17時(最終入館16時半)

入館料 :無料

駐車場 :隣接する青木村図書館の駐車場を利用

アクセス:上信越自動車道上田菅平ICより車で30分。
     JR上田駅より千曲バスの終点「青木バスターミナル」まで30分、
     バス停より徒歩5分。

ウェブサイト:五島慶太未来創造館 | 青木村役場