畠山重忠は、鎌倉幕府の御家人のひとりで、源頼朝死後、幕府内の権力争いに巻き込まれ、最終的には主人公である北条義時に敗れ、非業の死を遂げることになります。
その舞台となったのが、二俣川の戦いです。
この二俣川、鎌倉幕府から想起されるように、神奈川県にある街で、現在は住宅街になっています。
畠山重忠の遺構も数多く残っており、いま話題沸騰中の街ですが、神奈川県外ではあまり知られていません。
二俣川とはいったいどんな街なのでしょうか?
<目次>
1,畠山重忠の乱と二俣川の戦い
まずは、畠山重忠について確認しておきましょう
畠山重忠は、武蔵国、現在の深谷市の御家人で、源平の合戦では、源頼朝とともに戦い、1180年の鎌倉入りや、奥州藤原氏討伐などでは、先陣も務めました。
しかし、頼朝の死後幕府の権力掌握を狙う北条時政に謀反の疑いをかけられ、息子の重保は鎌倉で殺害され、重忠も嘘の命令で鎌倉へ呼び出され、この二俣川で北条義時の軍に敗れ討ち死にしました。
この一連の騒動が畠山重忠の乱、そのうち、二俣川での合戦が二俣川の戦いです。
二俣川の戦いでは、北条義時の軍が数万だったのに対し、重忠軍は130騎だったそう。
軍勢を比較すると、北条氏側の卑劣さを感じる一方、それほど時政は重忠を恐れ、本気で潰しにかかったのであろうと推察します。
人物相関図は、大河ドラマのページがわかりやすいのでこちらにお委ねします。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝を大泉洋さん、北条義時を小栗旬さん、北条時政を坂東彌十郎さん、そして、畠山重忠は中川大志さんが演じます。北条家や御家人を中心にイケメンが多く、しかも、関智一さん(機動武闘伝Gガンダムドモン・カッシュなど)や山寺宏一さん(かいけつゾロリなど)といった豪華声優が役者を演じているほか、脚本も三谷幸喜さん(古畑任三郎など)と話題に絶えない大河になっています。
2,相鉄線二俣川駅について
横浜市といっても、港の横浜のイメージではなく、丘陵地帯に広がる住宅街になっていて、相模鉄道(相鉄線)が通っています。
相鉄線は、横浜駅が起点で、二俣川駅を経由して、小田急線の海老名駅に向かう本線と、二俣川駅から別れて泉区のニュータウンを行くいずみ野線が走っています。
両線の分岐駅だけあって二俣川駅は特急停車駅になっており、乗降人員も2020年度実績で64,325人と相鉄線の中でも第4位です。
相鉄線は、これまで大手私鉄の中でも他社線との相互直通運転を行わず、東京都内にも乗り入れない独自の文化で発達してきた路線ですが、2019年に二俣川駅から2つ目の西谷駅から分かれて、JR湘南新宿ラインに乗り入れ、新宿駅まで、一部の列車は埼京線に入り、大宮駅や川越駅まで向かうようになりました。
さらに、2023年3月には、新横浜駅を経由して、東急東横線や目黒線にも乗り入れるようになり、新幹線への乗り換えと、都心へのアクセスが格段に向上する、今注目の路線でもあります。
二俣川駅では、下のような横断幕が掲げられ、地元の期待が窺えます。
3,大河ドラマに沸く二俣川エリア
そして、二俣川を沸かせているのはそれだけではありません。
大河ドラマをきっかけに、地元ゆかりの英雄畠山重忠ブームも起こっています。
二俣川駅から南に1kmほどのところに畠山重忠公遺烈碑が、隣の鶴ヶ峰駅付近には、畠山重忠公首塚、畠山重忠公碑、畠山重忠の乱古戦場跡、畠山古戦場「矢畑・越巻」、畠山重忠 すずり石水跡など数多くの史跡があります。
畠山重忠は、武芸に秀でるだけでなく、その人格や容姿、音楽的才能にも優れた武士の鑑ともいえる人物だったそうです。
ここは、もともと牧ヶ原という地名だったそうですが、畠山重忠の乱で北条軍が数万の騎兵を率いたことから、「万騎」という字が当てられたと伝えられています。
実際に先日ボクが二俣川を訪問した時は、相鉄線のホームで、南万騎が原という変わった駅名に興味を持ったお子さんに、畠山重忠の伝説を絡めて教え伝えるお父さんの姿がありました。
それだけ、地元では愛されている御家人だったのだと実感できましたし、地元の英雄に学び、子どもたちも立派に育ってほしいと思いました。
ま、出身は深谷だけどね(笑)
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