ボクの息子はもう子鉄じゃないかもしれない。

子鉄ヤンヤン(小5)の父であり、実写版アラレちゃんの娘ミーミー(年長)の父が、鉄道や子育てを楽しみながら、地方鉄道を救済していく物語です。子供の「だいすき!」「やってみたい!」を大切に子育てをしています♪(旧ブログ名:適応障害でも鉄道に乗りたい!!)

子鉄を丹那トンネル殉職者慰霊碑に連れて行ってみた。

みなさん、こんにちは。

僕たちの便利な暮らしは、たくさんの命に支えられていることを忘れてはなりません。

丹那トンネルは、東海道線熱海駅函南駅の間にある全長7,084mに及ぶ長大トンネルです。

完成したのは1933年で、これが完成するまでは東海道線は現在の御殿場線を通って静岡方面に向かっており、「汽笛一声新橋を〜♪」で始まる鉄道唱歌の神戸までの旅も、御殿場線回りで表現されています。

しかし、御殿場線回りでは、当時は補助機関車が必要なほど勾配がきつい区間であり、速達性向上のためには、勾配が緩かで、かつ走行距離も短くできるショートカットルートが求められていました。

そこで計画されたのがこの丹那トンネル

難工事を極めた長大トンネルの建設にはたくさんの犠牲者が出ました。

今回は、多感な子鉄の息子と一緒にトンネルの入り口にある殉職者慰霊碑に行ってきましたので、紹介します。

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丹那トンネルを含む熱海駅以西は、JR東海の列車が走る。

<目次>

 

1,丹那トンネル殉職者慰霊碑までの道のり

丹那トンネル殉職者慰霊碑は、トンネルの熱海駅側の入口にあります。

まずは、東海道新幹線東海道線が通る熱海駅に向かいましょう。

しかし、熱海駅からは少し距離があるので、伊東線に乗り換えて、次の駅の来宮駅に向かうのが便利です。

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来宮駅は、熱海梅園の最寄り駅で、駅名標には梅の花があしらわれている。

伊東線はその先の伊東駅から伊豆急行線に乗り入れているため、この区間でも伊豆急行の列車が走っているほか、特急サフィール踊り子来宮駅運転停車することになっているため、ゆったりと写真を撮ることもできます。

運転停車とは、単線区間のすれ違いや信号の扱いの関係で、通過駅でしばらく停車することです。

なお、丹那トンネルを通る東海道線来宮駅の真横を通りますが、ホームはなく、笑顔で通過していきます。

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来宮駅を出発し、伊東駅方面へトンネルに入っていくE261系サフィール踊り子。

また、来宮駅の構内には保線車両の基地もあり、レール運搬車やマルチプルタイタンパを見ることもできました。

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来宮駅のホーム横に留置する保線用車両マルチプルタイタンパー

南国風の屋根が特徴的な来宮駅を出て、右に曲がり、10分ほど「あたみ梅ライン」という道路を歩いていきます。

かなりきつい登り坂なので、バスを使うのもいいでしょう。

来の宮駅バス停から伊豆箱根バスが出ていて、約30分間隔で運転されている熱11系統相の原団地行きに乗車し、2つめの梅園のバス停で下車します。

「梅園」というのは、熱海梅園のことで、熱海の温泉の効能を促進するための適度な運動を目的に造成された梅園で、日本で最も早咲きの梅、最も遅い紅葉と言われています。

梅園のバス停がある交差点のはす向かいにあるので、時間があれば寄ってみてくだださい。

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南国風のオシャレな屋根が特徴的な来宮駅

さて、目的地の殉職者慰霊碑は、その梅園の交差点を右に曲がり、坂を下ったところにあります。

このあたりは、先ほど紹介した保線基地の事務所や訓練用の線路もおいてあり、若干テンションがあがります。

 

2,丹那トンネル殉職者慰霊碑で出会えるもの

殉職者慰霊碑は、東海道線丹那トンネルの入口の真上に位置しており、電車がよく見えます。

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丹那トンネル殉職者慰霊碑の敷地の入口は駐車場になっており、東海道線伊東線の列車を眺めることができる。

駐車場を抜けていくと、殉職碑があり、殉職者67名の名前が刻まれています。

お供え物が風で飛んでいたり、黒ずんで汚れていたりしたので、雑巾の1つでも持ってきてあげればよかったと思いました。

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丹那トンネル殉職者慰霊碑。思わず頭が下がる。

殉職碑の右側には解説が書かれています。

特徴的なのは、韓国語でも書かれていることです。

丹那トンネルは着工が1918年、開通が1934年で、第1次世界大戦終結の年の着工ながら、とにかく軍事活動を活発に行っていた時代です。

中国大陸、朝鮮半島出身の工夫も多く参加していたとみられ、殉職者の名前を見ると、李さんや金さんなどの名前が見られます。

僕たちのいまの便利な生活は、こうした方たちの犠牲の上に成り立っていること、改めて実感します。

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慰霊碑の解説は、日本語、英語、韓国語で書かれている。

さらに奥に進むと、東海道新幹線丹那トンネルの入り口をフェンス越しに見ることができます。

新幹線が高速でトンネルに突っ込んでいくシーンは迫力満点です。

丹那トンネルは、1941年に弾丸列車計画に基づき着工しましたが、その後太平洋戦争の激化に伴い中断、終戦後1959年に工事が再開され、1964年に東海道新幹線の開業に合わせて竣工しました。

新幹線をフェンス越しに間近で見ることができる新丹那トンネル入口。新幹線が早すぎてもはや目視ができないレベル。

その反対側に目をやると、木々の間から、在来線が丹那トンネルに入っていく様子を見ることができます。

鉄道をより安全に、たくさんの方に乗ってもらい、社会の役に立たせることが、殉職者の皆さんへの恩返しになるだろうと、改めて思います。

木々の間から211系電車が丹那トンネルに入っていく様子が見える。

3,子鉄の反応は?

息子のヤンヤンは、かなりロマンチストで、見えないものが見える男なので、なんとなく命の重みや便利な生活の陰にある犠牲などを感じることができたのではないでしょうか?

しかし、丹那トンネルの新幹線の迫力がすごいので、トンネルドンの風圧とともにどこかに飛んで行ってしまったかもしれません(笑)

このほか、広島県の被ばく電車、中央線高尾駅付近の湯の谷トンネルなど、戦争にまつわる鉄道遺構は実はたくさんあります。

こういった切り口で、子鉄にも道徳や命などを感じてもらいたいなと思います。 

改めて命の尊さと自分のあり方を見つめ直している(かもしれない)ヤンヤン